研究外の成果 アルビンの活躍(3)

 アルビン号が広く一般に名前が知られるようになったのは、1966年1月、スペイン上空で、米のB-52戦略爆撃機H-bomb.jpgと空中給油機が衝突、水爆4発のうち3発は地上に落下して、直ちに発見されたが、残る1発が地中海に落下した事件である。米政府は、全力 で、海中に沈んだ水爆の回収に当たった。現場海域には、米海軍の艦艇約30隻が投入された。この中には、ウッズホール海洋研のアルビン号も含まれていた。アルビン号は、当時最新鋭だったばかりでなく、運航は研究所だったが、所属は米海軍だった。米では、軍学協力はあまり問題にならない。深刻な海洋汚染の恐れもあったから、軍も学も関係ない。

 3月2日、アルビン号は770mの海底で、水爆を発見、仲間の深海潜水艇アルミノートの協力で、目印のトランスポンダーを取り付け、沈没位置を固定した。これを元に、4月7日、無人の潜水機が、ようやく回収に成功した。上の写真は、回収された水爆である。(米海軍・パブリックドメインなので、掲載させていただいた。)

   アルビン号の活躍として、最もよく知られるのは、1912年、北大西洋を処女航海中、氷山に激突、沈没した豪華客船タイタニック号の発見だろう。発見と言っても、1985年9月、ウッズホール海洋研のロバートバラード博士が率いる調査チームが、精巧な音響探査装置を使って水深3650mの海底に沈んでいたタイタニック号らしきエコーを確認していた。翌1986年7月、この地点に、バラード博士も搭乗したアルビン号が潜った。ソナーの故障や電池の消耗に悩まされながら、たった1回の潜航で、とうとう、タイタニック号を発見したのだ。  

 

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プロフィール

 
自称「国際紛争記者」。イランイラク戦争に始まり、ユーゴスラビア紛争・サラエボ包囲網、湾岸戦争と、臨んだ現場は、枚挙に暇がない。現役記者引退後は、ネット事業に取り組んだが、なぜか、今、3Dにはまっている。
アルビン号の深海探検 公式ホームページ