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上映に先立って、7中旬科学館3階の科学館展示室シアターで準備作業が行われ、行ってきました。科学館には、3D上映設備がないため、移動式の上映セット(シルバースクリーン、プロジェクター等)が設置されました。劇場用の上映時間は40分ですが、科学館用は半分の22分に短縮されました。

 

科学館.jpg 映画は来年4月にかけて、夏休み、冬休み、春休みを中心に上映。今回は719日から95日まで、13回上映されます。どうぞ、お出かけください。

深海のアルビン号.JPG
 深海のアルビン号の概観はどうやって撮ったのか?よく聞かれる質問です。人間が外に出て撮ったに違いないという人がいましたが、仮に深さ3千メートルとすると、1平方センチ当たり300kgの水圧が、四方八方からかかっているので、それに耐えうる潜水具すらなく、不可能です。
 実は、無人の潜水ロボットで撮っているのです。アルビン号とは有線でつながれており、リモートコントロールで操作されています。本来は、アルビン号が潜り込めないような狭い場所に入って、研究対象を撮るのが目的のロボットです。深海の洞窟ばかりではなく、タイタニック号のような沈没船の船内撮影などにも活躍します。

 アルビン号本体にも前部に、カメラが搭載されており、船内から操作して、目的によって2Dで撮ったり、3Dで撮ったりします。映画では、できるだけ、最初から3Dで撮った映像を多用しました。

 アルビン号は1964年に建造され、それから45年、半世紀近くも経っている。もう、とっくに退役していてもおかしくない。実は、何度も延命措置が施されてきた。3年から5年に一度は、全面的なオーバーホールが行われている。そのたびに部品が交換されたり、新たな機器が搭載されたりして、今やビス1本たりと、建造当初のものは無い。最も大きな改変は、1972-73年、乗員たちが入る耐圧球が鋼鉄製からチタン合金製に交換され、それまでの2400mの潜航深度がからが4500mに向上したことだ。最近の大規模なオーバーホールは、2001年。新たな動力制御装置とコンピューターシステムが搭載された。

新型アルビン.JPG それにしても、日本の「深海6500」などと比較すると、性能面の立ち遅れのそしりは免れない。このため、現在、次世代アルビン号の建造計画が進められている。2008年からは、人が乗り込む場所であるチタン合金製の新型耐圧球の製造が進められている。新しい耐圧球によって、アルビンの潜航能力は、「しんかい」と同じになる。また、現在の耐圧球は直径2メートル足らずだが、新型は一回り大きい2m15cmなる。

 次世代のアルビン号の大きな変更点は、のぞき窓が現在の3ヵ所から5ヵ所になることだ。正面の窓は、専らパイロットが操縦のために使う窓で、研究者はサイドの窓から外を覗くしかなかった。次世代アルビン号では、窓のうち3つが正面を向いている。研究者は、アルビン号の進路をパイロットに指示できるだけでなく、照明がきちっとあたるベストスポットを観察できることになる。パイロットは、自分だけ許された独占的な視界の特権を失うことになる。

 新しい耐圧球は、とりあえず新しいバッテリーやライトとともに、現在のアルビン号のアップグレードに使われ、次世代アルビン号の船体の完成を待つことになる。新アルビン号が登場するのは、早くても2015年になるようだ。しかし、実現は、ひたすら50億円の資金調達にかかっている。

 アルビン号は不恰好だ。流線型に形が整っているのは、実は船体後部。私は、かなり長い間、この船尾が船首だと思っていた。本当の船首部分には、見てくれも構わず、海底での採取物をのせるサンプルバスケットやマニュピレーター(ロボットアーム)が設置されている。

 上図は、次世代アルビンの建造委員会が発表した資料である。どうも不恰好さは、踏襲されるようだ。なぜか、ホッとする。

 旧アルビン号の未来は、博物館入りが有力だ。

 アルビン号には、パイロットが1人しか乗っていない。残りの2人は研究者だ。日本が世界一の性能を誇る深海探査船「しんかい6500」は、パイロットが2人、研究者は1人。アルビン号のパイロットには大きな責任がのしかかっている。

 安全なのだろうか?通常、アルビン号は船体の下に、使い捨ての鉄鋼製のバラストを積んで沈下し、調査が終われば、バラストを捨てて浮上する。浮上できない場合、72時間は酸素を供給できる救命機能があるが、70時間浮上できない時点で、パイロットと研究者が入っているチタン合金製の耐圧球だけを、船体から切り離し、浮上できるようになっている。

アルビン.JPG 海底洞窟にはまったらどうなるのか?そういうことが実際にあったが、そのときは、スクリューで前進後退を繰り返し、何とか洞窟を抜け出したそうだ。パイロットの悪夢は、地殻変動で、近くの岩盤が崩れ、埋まった光景だそうだ。数千mの暗闇の深海底、確かにゾッとする。

 覗き窓は、直径10センチ余、厚さ10センチ位の 窓.jpgアクリル製。80度の熱で溶けてしまうはずだ。400度近い熱水孔の近くまで行って大丈夫なのだろうか?ご心配は無用。熱水が噴き出すあたりの海水温は、2~3度程度、熱水も10~20cmていど噴出孔から離れると、周りの海水とほとんど同じ水温になってしまう。熱水が急激に上昇する真上でも、1メートルくらい距離を置けば、安全だそうだ。 

 実は、もっと危険なことがある。海水を出し入れしてアルビン号の浮力を調整するバラストタンクに高濃度の硫化水素などが混じった海水を吸い込むと、バラスとタンクが腐食する恐れがある。パイロットが気を使う点らしい。

 建造から4年目、1968年10月のこと。潜航準備のためアルビン号を海上でつるしていたところ、突然、ケーブルが切断、乗員3人を乗せたまま、海に放り出されてしまった。乗員はかろうじて脱出したが、ハッチが開いたままだったから、当然、沈んだ。アルビン号は1535mの海底に鎮座してしまった。それから11ヶ月、建造されたばかりのアルミ製の深海潜水艇アルミノートが、長いケーブルをアルビンにくくりつけ、アルビン号は再び、日の目を見た。その間11ヶ月。アルビン号の1回の潜航時間としては、もちろん最長だ!
 その後、アルビン号は、ボルト1本まで交換され、建造時とは全く違う船体に生まれ変わったといっていいほどの改修が行われた。

mekajiki.JPG  この1年前の1967年、600mの海中で、メカジキが,獲物と間違えたかアルビン号に突進してきた。メカジキは、特徴である剣のような吻(ふん)を、あろうことか、船体のつなぎ目に突き刺して、動けなくなってしまった。アルビン号は、不運なメカジキとともに、浮上した。
 その後、このメカジキが、ステーキになったかどうかは、記録がない。

(Photo:Woods Hole Oceanographic Institution)

doverl.jpg 左の写真は、シンディ・リー・バン・ドーバー (Cindy Lee Van Dover ) さん、アルビン号の歴代パイロット(40人足らず)の中で、ただ一人の女性パイロット。面識は、もちろん無いが、ブログに写真を使用したいと彼女にメールを送ったら、快く、OKして、この写真を送ってきてくれた。

 アルビン号のパイロットになる厳しさは、前に書いた。ヴァンドーバー博士は、現在、ノースカロライナ州のデューク大学海洋研究所の部長を務めている。彼女は幼い頃から、深海に憧れ、深海生物学者を目指して、憧れのウッズホールに職を得たあと、一念発起してパイロットを目指す。

 深海パイロットは、男の世界、アメリカでも、様々な障害があったようだ。彼女の動機は、パイロットになれば、いつも潜って深海を観察できるというもの。パイロットが研究に手を出してならないことは、不文律としてあったようだが・・・。

 彼女は、1990年から91年暮れまでの1年半に48回の潜航をして引退。深海のエビの背中に、光に反応する器官があるという発見をしたことで知られる。深海で熱水噴出孔があれば、そこから発せられる赤外線にエビが反応できるというわけだ。

 小柄なガンバリ屋。伝説の女性パイロット、深海海洋学者である。現在、次世代アルビン号の建設委員会の座長も勤めている。彼女の著作「深海の庭園」(草思社、西田美緒子訳、原題 "The Octopus's Garden" = The Beatles が、同名の曲を歌っている。しゃれてますね!)は、一読の価値あり。これを読むと、深海にはまってしまう。本は、アマゾンにストックがあります。

 アルビン号が広く一般に名前が知られるようになったのは、1966年1月、スペイン上空で、米のB-52戦略爆撃機H-bomb.jpgと空中給油機が衝突、水爆4発のうち3発は地上に落下して、直ちに発見されたが、残る1発が地中海に落下した事件である。米政府は、全力 で、海中に沈んだ水爆の回収に当たった。現場海域には、米海軍の艦艇約30隻が投入された。この中には、ウッズホール海洋研のアルビン号も含まれていた。アルビン号は、当時最新鋭だったばかりでなく、運航は研究所だったが、所属は米海軍だった。米では、軍学協力はあまり問題にならない。深刻な海洋汚染の恐れもあったから、軍も学も関係ない。

 3月2日、アルビン号は770mの海底で、水爆を発見、仲間の深海潜水艇アルミノートの協力で、目印のトランスポンダーを取り付け、沈没位置を固定した。これを元に、4月7日、無人の潜水機が、ようやく回収に成功した。上の写真は、回収された水爆である。(米海軍・パブリックドメインなので、掲載させていただいた。)

   アルビン号の活躍として、最もよく知られるのは、1912年、北大西洋を処女航海中、氷山に激突、沈没した豪華客船タイタニック号の発見だろう。発見と言っても、1985年9月、ウッズホール海洋研のロバートバラード博士が率いる調査チームが、精巧な音響探査装置を使って水深3650mの海底に沈んでいたタイタニック号らしきエコーを確認していた。翌1986年7月、この地点に、バラード博士も搭乗したアルビン号が潜った。ソナーの故障や電池の消耗に悩まされながら、たった1回の潜航で、とうとう、タイタニック号を発見したのだ。  

 

深海操縦.JPG  アルビン号の操縦をするには、特別の資格が必要。その資格を持った人は、「ライトスタッフ」と呼ばれる。宇宙飛行士と同じ呼称だ。資格の名称は、「深海艇操縦士」、米海軍の正式な資格である。アルビン号に特有な資格ではなく、有人深海艇ばかりでなく、無人の深海探査機を操縦する免許でもある。この資格は、数十人しか持っていない。エリートである。右写真は海軍の「深海操縦士」のピン(徽章)。これがないと単独でアルビン号を操船できない。

 アルビン号は、米海軍の所属だが、運用は全面的にウッズホール海洋研究所に委託されている。全面委託とはいえ、国の艦艇を預ける以上、実際に運航する人は、知識、技量等、海軍の条件に適わなければならないというわけだ。

 深海パイロットになった人たちの職業的なバックグラウンドを見ると、工学系の職歴の人が目立つ。深海艇のメカニズムは、複雑で、潜航中に非常事態が起きた時、パイロットは独りで対処しなければならない。パイロットはアルビン号の制御系の仕組み、ケーブルの配線路など、どこをいじったら、結果がどうなるかを知っていなければならない。

 深海パイロットの訓練プログラムは、基本的には実地で行われる。期間は定めがないようだが、1年半程度か?アルビン号の保守点検作業はもちろん、母船からアルビン号を海面に降ろすAフレームの操作、ありとあらゆることを覚えなければならない。1年のうち8ヶ月は海上で過ごすことになる。ここで脱落する応募者が多いようだ。下働き段階で適性があると見られると、訓練操縦士(PIT=Pilot-in-training)となる。アルビン号には、シミュレーション設備がないから、PITとして、十数回の実地潜航を行う。もちろん正規のパイロットが同乗する。

 この間、いくつかの口頭試問がある。科学者グループ、アルビン号パイロットグループ、アルビン号の技術者グループによる「フライパンの上で焼かれるような」厳しい関門が何回も待ちかまえている。

 最後は、サンディエゴの米海軍潜水艦部隊司令部のあるサンディエゴで、海軍提督や潜水艦長らを前にしての口頭試問である。合格すると晴れてアルビン号のパイロットとなる。

alvin_exhibit 02.JPG アルビン号の深海探検で忘れてはならないのは、アルビン号の母船「アトランティス2世号」。2世号という名は、1930年代から60年代にかけて深海探査船として活躍した米のアトランティス号にちなんで付けられたためだそうだ。

 アトランティス2世号は、映画の中で、オープニング・タイトル直後の2カット目から4カット目に映るだけだ。全長83m、重さ(総トン数)3200トン、巡航速度は11ノット、研究者24人を含めて60人が乗り込める。船尾にはAフレームと呼ばれるクレーンがついていて、船内に格納されたアルビン号を吊り上げて、海面に下ろす。

 アトランティス号の重要な役割は、アルビン号を海上から誘導することにある。精密な海底地形図を作成する装置を積んでおり、GPSなどと組み合わせて、アルビン号に正確な位置と進路を指示する。また、船内には研究室があり、研究者は、アルビン号が収集したデータや採取した生物、岩石を分析、保存したりすることができる。

アルビン号が建造された当時、母船を務めたのは、海軍の掃海艇を改良したカタマラン(双胴)型の「ルル号」だった。相棒の佐藤は、ルルが母船の当時、番組取材で乗ったが、双胴船は、全方位に揺れがひどく、激しい船酔いに悩まされたそうだ。

 

                                wh_lighthouse.JPG    アルビン号が所属する海洋研究所があるウッズホールってどこ?というのが、今回のテーマです。アメリカ東海岸のマサチューセッツ州の大西洋岸にケープコッドという半島があります。その最南端にウッズホール(Woodshole)があります。Google Mapで確かめて下さい。

 ゴールデンウィーク期間中、研究所へ交渉に行った際、めぐり合ったのが、この灯台。滞在中、ずーっと雨だったのですが、この写真を撮った刹那、青空が広がりました。灯台は1829年に、木造の水先案内役としてウッズホール港の入り口に建造され、1876年に現在の灯台に建て替えられました。

 そばの海岸べりの眺望所には、9・11の犠牲者を悼む碑がありました。生前、この地を好んだ故人に捧げられたものなのでしょう。ウッズホールの人々にとっても、心安らぐ場所なのですね。

 ウッズホールは、19世紀初めから、捕鯨の基地として栄えました。海洋研究所は、捕鯨船の造船所の跡地に設立されたものだそうです。そもそも、ウッズホールは、アフリカの最南端、喜望峰を発見したポルトガル人バーソロミューが、1602年、初めて、アメリカの地を踏んだのがこの地だといわれています。英のピルグリムがメイフラワー号で、ウッズホールに近いプリマスに上陸する18年前のことでした。1860年ごろからは、貿易港として栄えます。間もなく、ニューヨークと鉄道で結ばれた頃から、富豪の別荘が建ち並ぶ風光明媚なリゾート地として、有名になりました。

 今では、海洋研究所の所在地として名を知られています。前の天皇陛下が1975年秋の訪米の際に、この研究所を訪問されたことで、日本でも一躍、知られるようになりました。最近では、ノーベル化学賞を受賞した下村 脩(おさむ)さんが、海洋研究所の隣にあるウッズホール海洋生物学研究所に在籍したことで話題になりましたね。

 訪問したくなるかもしれませんが、観光地ではないので、見るものがなくがっかりするかもしれません。

アルビン号.JPG  アルビン号を擬人化して第一人称にしようというのは、映画製作のかなり早い段階で決まっていた。「ボク=アルビン」が、深海を案内するのだ。

 アルビン号をヒーローと決めたは良いが、名前の由来ぐらいは、知らなければならない。アルビンの名前そのものは、男の子のファーストネームとして米、英、ドイツ、ハンガリーなどで広く使われている。潜水艇にこの名をつけた理由について、いろいろ調べたが、諸説があった。

 最も有力なのは、1964年のアルビン号建造に当たって、功績のあったウッズホール海洋研究所のアリン・バイン(Allyn Vine)にちなんだもの。アリン・バインの母親の名「ルル」がアルビン号の初代の母船の名前だったことも、この説の有力さを裏付ける。もう一つは、当時、流行っていた漫画の主人公でシマリス3兄弟の一匹アルビン。いたずら好きなシマリスだ。

 海洋研究所では、前説を取っているが、後説も否定している訳ではない。アルビン号の最初の姿が、確かにシマリスを連想させる。研究所の人たちと話していても、アルビンという名前には、愛着や親しみを感じているようで、その背景に、シマリス・アルビンのイメージと重ね合わせてしまう心情があるに違いない。名前の由来は、両方ミックスということにしておこう。

 私のイメージは、「好奇心旺盛なアルビン坊や」だ。ただ、ナレ録りの時点では、建造から45年で、「坊や」もないから、「若いが、年齢不詳」とした。シマリスみたいなアルビンのいたずら好きは、映画の中でも発揮される。お楽しみに。

映画「アルビン号の深海探検3D」の製作完了!やっとできた。
いよいよ、愛する深海の生き物たちの出番です。

映画をご覧になれば「海は生命のゆりかご」と呼ばれるゆえんが分かると思います。

映画の公式サイトを立ち上げるに当たって、せっかくだからブログもオープンしようと提案。オープンする段になって、誰が書くのだ!という当たり前のハードルに突き当たった。たいていの映画は、スタッフ・ブログだが、わが制作グループは、監督2人だけ。お互いに「そもそも、監督されるスタッフがいないのに、監督とは?」と自嘲気味のジョークを言い合ってきた。従って、このブログは、「監督」ブログである。そして、かつて記者だった私が、結局、ブログ担当である。

映画のこぼれ話や深海をめぐる話題を皆さんと共有できるのは、大いに楽しみ。
コメントや質問を寄せて下さいね。

プロフィール

 
自称「国際紛争記者」。イランイラク戦争に始まり、ユーゴスラビア紛争・サラエボ包囲網、湾岸戦争と、臨んだ現場は、枚挙に暇がない。現役記者引退後は、ネット事業に取り組んだが、なぜか、今、3Dにはまっている。
アルビン号の深海探検 公式ホームページ